今を生きること

わたしたちは存在の中心にあるせつなさを避けて、計画、課題、空想、心配、後悔、平穏や平安のイメージに逃げ込もうとする。
さもなければ、それをどうにかして完全にしようとしたり「微調整」を試みたりする。
けれども、そのせつなさはすでに完璧だ。それにまつわるどんな概念も超越しているという点で。
どうしても課題に取り組まなくちゃいけないときでも、存在の神秘に気づくことはできる。
存在の神秘を細かく分解して、あとで表現したりコントロールしたり再生したりできるような具体的な感覚や理解に落とし込もうとすることなく。
たとえばわたしたちは、生の神秘を未来のいつの日か、またはどこか遠くの見知らぬ場所に行ってからしっかりと経験したいと願うことによって、生から身を引こうとする。
ヒマラヤにトレッキングに行くのは、ヒマラヤに行けばもう少し特別な神秘が見つかるはずだと信じて疑わないからだ。
虹の端がぎりぎり手の届かないところにありさえすれば、何をするかなんてどうでもいい。
中略
思い煩うのをやめた瞬間、わたしたちは〈気づき〉としての自分の本質と無条件に完全に完璧に一体になっている。
それが悟りだ。しなければいけないことも、ならなければならないものも、本当に何もない。
わたしたちはいずれにしても悟っているんだけれど、必ずしも想定しているような悟り方をしているわけじゃないというだけだ。
瞑想したり、くつろいだり、先生と一緒の時間を過ごしたりすれば、一時的になら思い煩わないでいられることもあるけれど、習慣的な思考のせいですぐに元の木阿弥になる。
そうすると、開かれた気づきとしての自分や今この瞬間の経験とのつながりが「切れた」と感じる。
だからこそ理屈の上であれ、今のこの瞬間が、そしてこの瞬間の生との出会いだけが、唯一ありえる生だってことを理解しておくのが助けになる。

わたしたちはいずれにしても悟っているんだけれど、必ずしも想定しているような悟り方をしているわけじゃない」という部分で
なるほどなーーーと思いました。
仕事柄未来を占ってくださいと言われることが多いです。
その時の 始点は 今
そこからの流れは見えますが、わかりやすいのは
あぁ、ネガティブだから結果もネガティブだったよね・・・という時
2~30分 その状況を変えるには・・・というお話をして
あ、エネルギー変わったなと思ってから 同じことを占います
そうすると 30分前の始点ではない ポジティブな始点からのスタートに切り替わるので
未来の予測 流れが変わるのです。
なりたい自分と 今の自分が乖離していたら 責めたり 犯人捜ししたり(毒親とか相手が~~じゃなく)
常に 今自分がどうありたいか に戻るというか・・・
その時できる最善にとどまる
そうすることで なりたい未来に近づけることが出来ます
よく言われるのは るりさんって 本当に未来わかってるよね
というのが なんでも知っている人という感じですね
でも、私自身、その瞬間 にわかっていたとして
その知識はほとんど全部 アカシックレコードに返します
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今 この瞬間必要な情報だけを保持して 過ごします
なので 昨日覚えていたことも すぐに出てこなかったり(笑)
そういうことが多いです
とはいえ、仕事の情報まで最近はアカシックレコードに入れているらしく(笑)
記憶を引っ張り出す工程が変わりました💦
今を生きる
その時必要なもの 必要なこと で足りるのだなとしみじみ思います。
ないものを見るのではなく 今 この瞬間 すべてが完璧なのだなと気づく瞬間でもあります。
この気づきに心からの愛と感謝を込めて・・・・
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